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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)2911号 判決 1966年8月25日

主文

被告は原告に対し、別紙目録記載の家屋部分を明け渡し、かつ昭和三八年一一月一日から右明渡しずみまで一箇月金一万五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告は、昭和三七年三月一五日、被告に対し、別紙目録記載の原告所有家屋の二階約六六・一一平方米(二〇坪)を、賃料月額金一万五、〇〇〇円、毎月末翌月分支払、賃料を一箇月でも滞納したときは催告を要せず解除できるという約定で賃貸し、同年九月一四日期間を昭和四〇年九月一三日までと定めた。

二、ところが、被告は、昭和三八年一一月分からの賃料を支払わないので、原告は被告に対し、昭和三九年三月一四日到達の内容証明郵便で右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。仮りに前項の催告不要の特約が無効であるとしても、原告は被告に対し、同年二月三日および同年三月三日にそれぞれ延滞賃料の支払を催告した。のみならず、右解除の意思表示当時、原被告間においては、後記のとおりすでに信頼関係が著しく破壊され、たとい催告しても被告が応じないことが明らかな状態であったから、このような場合には解除の前提として催告を要しないものというべきである。

三、仮りに右解除の効力がないとしても、原告は、前記約定期間の満了後である昭和四〇九月一七日被告訴訟代理人に送達された同日付準備書面をもつて、つぎのような正当事由にもとづき解約の申入れをした。すなわち、原告は肩書地で株式会社関東燐寸という会社を経営している関係上社員宿舎を必要とし、他方、本件家屋はすでに相当腐朽し早晩取毀さざるをえない状況であつたので、以前から右家屋を他に移築してそのあとの敷地(原告所有)に社員宿舎を建築する計画を有していた。そこで、本件家屋を被告に賃貸するにあたつても、特に右移築には異議がない旨の確約を得たうえで契約したのであるが、その移築を実行しようとしたところ、被告が応じないため、前記計画を実現できず著しい損害を蒙つている。しかも、被告は、長期にわたり後記のような言いがかりをつけて賃料を支払わないばかりか、本訴提起後裁判所における和解勧告の際にも、明渡しについてまつたく非協調的態度に終始した。以上の諸事情を綜合すれば、前記解約申入れには正当の事由があるというべきであるから、以後六箇月の経過により本件賃貸借は終了した。

四、よつて、原告は被告に対し、本件家屋中前記賃借部分の明渡しと、昭和三八年一一月一日から右明渡ずみまで一箇月金一万五、〇〇〇円の割合による金員(解除の発効日までは賃料として、翌日からは賃料相当の損害金として)の支払いを求める。

と述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁および抗弁として、

一、請求原因第一項は、催告不要の特約があつたとの点を否認し、その余は認める。本件賃貸借契約書中の右の特約条項は例文にすぎず無効である。

同第二項のうち、被告が昭和三八年一一月分以降の賃料を支払わず、原告主張のとおり契約解除の意思表示が到達したことは認めるが、その余を否認する。

同第三項の正当事由ありとの主張は否認する。ただし、昭和三七年五月下旬本件家屋を同一敷地内に移転するという話がはじめてあつたが、これに対して被告が反対を唱えたことはない。また賃料不払、和解不成立の事実は認めるが、その原因、経過は争う。

二、被告が賃料を支払わなかつたのは、つぎのとおり原告に賃貸人としての義務違反があつたからである。

(一)  被告が本件家屋の二階を賃借する当時、階下には訴外市村信四郎が賃借居住しており、同人の設けた風呂場の煙突が二階の被告方物干場の横に近接して出ていたので、被告は、原告に代り本件家屋を管理していた訴外久保茂に対し右煙突の撤去を要望し、同人がこれを承諾したので入居したのであるが、約束に反して煙突は撤去されず、その煤煙は前記物干場の洗濯物を汚し、被告方居室内にまで吹きこみ、また火災の危険もあつた(現に本訴提起後の昭和三九年六月三日夜右煙突の火の粉からボヤが発生した)。

(二)  更に、昭和三七年三月下旬頃、前記市村が、二階の被告方便所から屋外の下水管に通じる排便管の周囲に薪などを積み重ねるようになり、この薪が崩れると排便管が破損する危険が生じた。

(三)  そこで、被告は、前記久保や原告に対し、右煙突および薪類を市村に早急に撤去させるよう再三請求したが、同人らはその都度善処する旨答えるのみで、ついに撤去は実行されなかつた。

(四)  昭和三八年七月二七日被告方の水道が故障して漏水した際およびその後玄関、便所が雨漏りしあるいは塀が突風のため破損した際、被告はその修繕を原告に請求したが、原告はこれに応じなかつた。

(五)  これに加え、同年九月四日には、前記市村が被告方東側の屋外階段へ出る出入口に外側から襖様のものを釘づけにして、その階段への出入を不可能にするという事態が発生した。もともと本件家屋は正面(北側)の道路より約六米低い土地にあるため、二階の被告方玄関が直接右の道路と通じているが、この玄関からでは裏庭に行くのが相当遠廻りになるので、二階と裏庭間の昇降のため借家人共用のものとして設けられたのが右の階段であり、その階段下には被告方の電気メーターや水不足の場合に備えた屋外水道などもある関係上、被告が同階段の利用を阻止されることは、非常の場合はもとより、日常生活においてもすこぶる不便であつた。そこで、被告はこのことを直ちに久保に連絡したが、これまた撤去されなかつた。

(六)  以上のように、被告は、本件家屋を賃借以来市村のために同家屋の使用を著しく妨害されてきた。これについて市村に責任のあることはもちろんであるが、賃貸人である原告としても、被告に完全な使用収益をさせる義務の一内容としてみずからその妨害を排除する義務を負うものというべきである。しかるに、前記のとおり原告はこれを怠り、かつ修繕義務も履行しなかつた。そして、原告のこれらの義務と被告の賃料支払義務とは同時履行の関係に立つものであるから、被告は前記出入口封鎖の翌月である昭和三八年一一月以降の賃料の支払いを拒絶したのである。それゆえ、右賃料不払を理由とする本件解除は無効である。

三、仮りに法律上賃料支払拒絶権がないとしても、被告は、以上のような経過から、煙突および出入口封鎖による被害がいつまでも解消されないことを堪えがたく感じ、一刻も早くこれらを撤去してもらうため、やむをえず賃料の支払を拒絶したのであつて、これは法的に無知な被告としてはまことに無理からぬことであり、しかも、被告は、右撤去問題が解決したならばいつでも未払賃料全額を支払うことができるよう毎月同額を銀行に預金しており、その旨原告にもあらかじめ通知ずみである。そして、本訴提起後前記市村が本件家屋より退去し、煙突等も撤去されたので、それまでの未払分を直ちに原告に提供したがその受領を拒絶されたので、その後現在まで賃料を供託中である。これらの事情を勘案すると、原告の本件解除権の行使は信義則に反し、権利の濫用というべきである。

と述べた。

原告訴訟代理人は、被告の右主張に対し、

一、被告主張の賃料不払事由のうち、(一)については、被告の賃借前から本件家屋の階下を市村が賃借し、同人の風呂場の煙突が二階の被告方物干場に近接して立つていたことは認めるが、その余は否認する。同(二)については、右市村が被告方排便管の周囲に薪などを積み重ねたことは認めるが、その余は否認する。同(三)のうち、被告から原告らに再三撤去請求があつたことならびにそれが撤去されなかつたことは認める。原告は請求をうける都度市村にその旨伝えて解決をはかつたが同人が撤去に応じなかつたのである。同(四)の修繕を原告がしなかつたことは認めるが、その程度の故障、破損は居住に差し支えなく、賃貸人の負担すべき修繕義務の範囲に属しない。同(五)については、市村が被告主張の階段出入口を塞いだことは認める。しかし、右階段は、主に市村が昭和三八年五月から本件家屋二階の被告方隣りではじめた美容院にいくための階段であり、たまたま右美容院の婦人客が被告方の右出入口から丸見えになるので、市村がその出入口を遮蔽し、非常の場合には内側から少し押せばすぐ外れる程度に釘でとめておいたにすぎない。同(六)の被告の主張は争う。

二、被告と市村との間に対立があつたことは事実であるが、これはつぎのような事情による。すなわち、被告の入居後しばらくは両者円満であつたところ、昭和三七年七月頃前記移築問題が具体化した際、被告が移築反対反対運動のため近隣の借家人に参集を求めたのに対し、市村が移築協力の態度をとり出席を拒否したことから、被告は同人をにくみ、従来問題のなかつた同人の煙突その他些細なことにいたるまで事毎に因縁をつけて、原告にその苦情を持ちこみ、みずからは市村と口もきかず、もっぱら原告だけを追求するようになつた。その態度は常規を逸し、かえつて市村の反発を招いたため、事態はますます悪化したのである。このような経過からしても、原告の義務違反を云々して賃料支払と同時覆行を主張することは公平、信義に反し、また本件解除を目して権利濫用というのもまつたく失当である。

と述べた。

証拠(省略)

理由

一、被告が原告から別紙目録記載の本件家屋の二階を原告主張のような約定(ただし催告不要の特約を除く)で賃借していたところ、昭和三八年一一月分以降の賃料を支払わなかつたため、翌三九年三月一四日原告から被告に右賃貸借契約を解除する旨の意思表示が到達したことは、当事者間に争いがなく成立に争いのない甲第一号証および乙第一号証(本件賃貸借契約書)によると、右賃貸借契約においては、賃料を一箇月でも滞納したときは催告を要せず契約を解除できる旨の特約があつたことを認めることができる。被告は契約書の右特約条項を例文であると主張し、被告本人もそのような条項のあることは知らなかつたと供述するが、それだけでその効力を否定することはできない。

二、そこで、被告の同時覆行の主張について判断すると、被告が本件二階を賃借して以来、階下の賃借人市村信四郎方の風呂場の煙突が二階の被告方物干場の横に近接して立つていたこと、右市村が昭和三七年三月下旬頃から被告方の便所の排便管の周囲に薪などを積み重ね、また同三八年九月四日には被告方東側の屋外階段へ出る出入口を外側から塞いだこと、ならびにこれらが被告の本件賃料不払のときまで撤去されなかつたことは当事者間に争いがなく、これに当時の本件家屋の写真であることに争いのない乙第四号証の一ないし七、証人市村信四郎の証言、被告本人尋問の結果と弁論の全趣旨をあわせると、右のうち、排便管の周囲に薪まどが積まれたというだけではいまだ被告の家屋使用に現実の具体的障害があつたとは認めがたいけれども、前記煙突は、その排煙口が二階の屋根の庇より少し上にあるだけであるため、市村が風呂を焚いたときは、火の粉による火災の危険のほか、風向によつて煤煙が被告方物干場の洗濯物を汚すというようなことがあり、また、前記階段は、本件家屋の構造上被告方においてその主張のような用に利用していたところ、出入口の封鎖により自由に利用しえなくなつたことが認められる。そして更に、原告が被告主張の修繕をしなかつたことも原告の認めるところである。これらによれば、被告の居住にある程度の支障ないし妨害があつたことは否定できない。しかし、被告は、現に本件家屋に居住し契約の目的に従いこれを使用収益していたのであつて、客観的に観察するかぎり、この使用収益を不能もしくは著しく困難にするほど右の支障ないし妨害がひどいものであつたとはとうてい認められない。そうであるならば、被告は、この現実の使用収益に対して賃料を支払うべきは当然であり、右の程度の支障、妨害があることをもつて賃料の全額の支払を拒むことは許されない。そうでないと、被告は、対価を支払わないで使用収益できるという不公平な結果になるからである。それゆえ、これら妨害除去および修繕が原告の義務に属するかどうかはともかくとして、右賃料の支払を拒絶した被告はやはり遅滞の責任を免れない。

三、つぎに、被告は、本件解除権の行使を権利の濫用であると主張するが、本件にあらわれたすべての証拠および事情を考慮しても、いまだそのように認めることはできない(前記妨害の除去を強く望んでいた被告の心情はそれとして理解できないのではないが、その実現を促すため、原告に対して賃料の支払拒絶という手段をとるについては、みずからの一方的な見方や立場だけを固執することなく、現に使用収益しているという事実に照らして、その当否を反省してみるべきであつたし、また賃料を預金したからといつて、定められた時期に支払をうけるべき原告の利益を無視することはできない)。

四、以上の次第で、本件賃貸借契約は、原告の前記解除の意思表示により、昭和三九年三月一四日をもつて終了したものといわなければならず、したがつて、被告は原告に対し、本件家屋の賃借部分を明け渡し、かつ賃料の支払を怠つた昭和三八年一一月一日以降右解除当日までは延滞賃料として、その翌日から明渡しずみまでは右賃料相当額の遅延損害金として一箇月金一万五、〇〇〇円の割合による金員を支払うべき義務がある。

よつて、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、なお仮執行の宣言は相当でないと認めて付さないこととして、主文のとおり判決する。

別紙

目録

東京都足立区千住大川町五七番地

一木造亜鉛板葺二階建店舗一棟(未登記)

建坪  六四・四六平方米(一九・五坪)

二階  六四・四六平方米(一九・五坪)

(ただし、家屋課税台帳上は一階建、建坪一二九・一二平方米(三九・六坪)と登録  )のうち、二階東側約一三・二二平方米(四坪)

同所同番地

一木造瓦葺二階建居宅一棟(未登録)

建坪  約一五坪(四九・五八平方米)

二階  約五二・八九平方米(一六坪)

(ただし、家屋課税台帳上は一階建、建坪七六・八五平方米(二三・二五坪)と登録  )のうち、二階約五二・八九坪(一六坪)

以上合計約六六・一一平方米(二〇坪)

<省略>

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